途方に暮れる

原美術館

原美術館へ出かけてみた。初めての訪問である。

最寄りの品川駅から少し距離があるので、よほどの覚悟が無い限り足が向くことはない。今回は、と思い定めて交番の前の交差点を渡り、あとはまっすぐ進めばよいはずなのだが、どう見ても美術館があるようには思えない。引き返そうかと思いはじめる頃、白い玄関が現れる。

そこにある、時間―ドイツ銀行コレクションの現代写真|原美術館

 

写真と時間

曹斐(ツァオ フェイ)の2作品(自分の未来は夢にあらず02、04)には、日常を背景にそこに暮らす若者が夢見る姿が映し取られ、のびやかで、触れることが叶いそうな未来に向かう時間に満ちていた。

椅子のほかには特にこれといったもののない劇場の舞台を撮ったカンディダ・へーファーの作品(レックリングハウゼン劇場Ⅰ)の前では、過去と未来において積み重ねられ積み重ねられるであろう舞台上の営みにしばらくの間思いを巡らせることができた。

写真というものは、いまある姿を材料に、いまある印象を残すものなのだと、深く考えることもせずに漠然と思っていた。様々意見はあるが、ことの本質はそうだ、そう思って撮り続けていた。そこに何らかの意味を付加し、様々な印象を引き出すのは、もっぱら鑑賞者の力量によるものなのだ。そういうことにしていた。

だが、間違いなく作品に時間は表現されていた。理屈ではなく、この目で見て、確かに体験し、しっかりと実感してしまったのだ。

さあ、明日からどうすればいいのだろう。