見捨てられた国民の一人として

年の初めに思い立った。これから、口述でブログを作ってみよう。

日頃から、スマホ音声認識の精度がとってもよくなっていると感じていたので、実行に移すことにした。もちろん下書きレベルでのことで、最終的にはキーボードで推敲して体裁を整えている。

 

国民を見捨てる政府

最初のテーマは、やっぱり気になる「新型コロナウィルス感染症」への対応を通じて見え隠れする政府の姿勢について。

すでに政府は国民を見捨てていますね。自分たちの政権、権力を支え維持してくれている人達の利益だけを一生懸命守っています。さらに感じ悪いのが、それがどうした、当たり前だろう、って開き直りかねない態度をありありと感じることです。

公衆衛生は、治安、国防と並んで国民の生存空間を確保するために必須となる国家の活動で、政治や経済、文化や教育などとの間で優先劣後を論じるべき分野ではなく、上位概念というか、レイヤーが異なるんだと思います。今まさに家が燃えているのに、今晩のおかずはどうしよう、って考えてる状況に近いものがあるんじゃないでしょうか。

そんな大事な政策に関して「国民は自己の責任で災いを生き抜け」って太平洋戦争末期の旧軍が言ってそうな流れになっています。結局、政府は全く変わっていなかった。政府は国民を助けない、軍は国民を守らない。70年前の先輩方が命と引き換えに得た教訓は、きれいさっぱり忘れ去られてしまっています。

彼らは、もう自らが寄って立つところの体制の維持にしか関心が向いておらず、国民なんて金のかかる厄介な管理の対象くらいにしか思ってない。国民の安心安全、とか言ってるのはそう言わないと叩かれるからで、全く本気でないのは具体的な行動が伴っていないことからも明らかです。そういう意味で、お隣の共和国たちと大差ないな、っていう感じがします。

 

国民が生み出す「負圧」

こんな政府の在りようもたいがい勘弁してほしいんですけど、国民の側もそれに従順というのか、それが当たり前って言うのか、こうしろああしろ言ってくれ、どうすればいいのか言ってくれ、みたいに主体性が無いのが気持ち悪くてたまらないし、どんどんそんな感じが強まっていることを感じます。

飼育されたいのか、管理されたがってるのか、面倒くさいのか、考えるのが嫌なのか、そもそもそれができないのか。為政者が国民の管理コストを引き下げようとして制約やルールを強化するというのではなく、国民の側から生じる、教えてくれ、指図してくれ、促してくれ、という「負圧」の高まりを感じます。皆がそう考えるのを改めろ、という気はないですけど、頼むから「巻き込まないで」って思います。

そんな気持ちの悪い渦に巻き込まれないためには、今は何をすべきか、明日はどうあるべきかということをしっかり考えて、意見を言い、実際に行動するといった具体的な活動を繰り返すしかないと思います。ただし、野党に都合よく利用されないように気を付けないといけませんが、そっち向きの話は、日を改めて。