印象「印象 、日の出」

光が見えない

私は悩んでいた、深く深く。場所は上野、東京都美術館の展示室。モネの名画「印象、日の出」の前に折り重なる人垣の中である。

誰一人として知らぬ者のないこの名画を前にしてかれこれ30分近く、近くから遠くから力の限り眺め続けているのだが、その間、”これは!”と思える要素を何一つ見つけ出すことができないのだ。さていったいこの鼠色の絵のどこを、何をもって世界の人々は誉めそやし続けてきたのだろうか。まったく理解することも、感じ取ることも出来ないでいた。

私はモネに対して「光を描く画家」という勝手な先入観を持っていた。「草上の昼食」に描かれた陽だまりは目が眩むほどまぶしかったし、「かささぎ」の雪景色を包み込む冬の夕日は手の甲にほんのりとした温もりを感じさせてくれた。しかし、この絵からはそういう類のもを一切感じとることができない。くすんだ背景と荒く描かれた前景とが水面に揺らぐ陽の光で不格好に接合されている、そんな絵にしか見えなかったのだ。

確かに「印象派」の名の起源となった作品であることには違いない。しかし、美術品としての価値がそのような歴史的な意味だけにおいて語られるのだろうか。そんなことがあろうはずもなく、残念ながら私にはこの作品の良さに触れるためのレセプターの持ち合わせがないのだろう。そう思って、もう殆どあきらめかけていた。

東京都美術館|マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展

 

お嬢さんありがとう

すぐ後ろから若い女性の声が聞こえた。絵の前を一巡りして、人垣の中で待っていた連れの母親に話しかける風である。「あのお日様すごいよ!一筆で『ぐりぐりっ』て描いてあるの」。すぐに絵画の前を流れる人の列の最後尾に並びなおし、もう一巡して確かめる。

その通りだった。
荒いタッチで一筆。朱の色はまるで「ひなげし」のように明るく、溶かずに混ぜられた白が輝きを放っている。その瞬間、画面に光が射した。闇に包まれていた風景に明るさを増した太陽が光を投げかけ始めた。たちまち画面が輝き始める。

更に不思議なことに気が付く。絵を眺める人々の中の幾人かが、何かを探すようにして背後を振り返っているのだ。それも決まって右肩越しに。きっと不意に画面に広がった光に驚き、その光源を探しているのだろう。もちろん天井にライトなど付いているはずがない。その源は画中の小さな太陽にあるのだから。