やっぱり「教育」ってすごいな

教育ってすごい

香港で、政府に反対したと看做された政治家たちが50何人も逮捕されました。予想はできてたことなんですけど、ここまで正々堂々と「体制に逆らい、体制の変容を求める活動は反政府活動だ」と言い切ってしまう神経に驚きました。

我々の感覚だと普通の政治活動なんですけど、かの国の一部となった香港ではすでに「反政府」活動になっていて(というか事後にそう扱われて)、それが一般的な考え方として支持されている状況に恐怖すら覚えます。第2次大戦の時に、連合国が我が国に対して抱いた恐怖、アンフェアな思いというのはこのようなものだったのかな、と想像もできます。

かの国の外交部報道局長は「香港では法治が行われている」と言っていましたが、彼等にとっての法治は、法によって政権も縛られるという我々の「法治」ではなく、法によって市民を管理、統治するという意味合いなのだろうと想像しました。

さて、そんな「法治」が当たり前の社会は、まさに教育の成果の賜物です。現体制の維持が至上であって、その改変を企てることや異議を唱えることは、国内の人々はもちろんのこと外国の勢力であっても罰すべき対象になるんだ、悪いものなのだという思想は、そのことを是とする教育を地道に継続してきたことにより整えられた環境があって初めて、あのように正々堂々と臆面もなく言えるのでしょうし、そうした環境の出来栄えに自信を持っていることの表れだとも思います。

日本においては、重厚長大産業や規模の利益、分業・機械化を至上とする産業構造が未来永劫に続くんだという想定(いや、何も考えず)のもとに、与えられた役割分担に従順な人間を大量生産する教育が何十年も行われてきました。その結果、自分たちで新しいものを生み出すことのできない、与えられた環境の下で想定された反応だけしかできない人たちの群れが生み出されて、その結果、日本の相対的劣化がここまで進んでしまったという現在があります。ある意味、これも一つの教育の成果(というより結果)ではないかと思い、改めて「すごいなあ教育は」と思いました。

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教育は戦略

そんな事実を前にして思うことは、やっぱり教育を考えるってことは、30年先50年先の未来を考えて、将来にわたってどんな人材が必要とされるか、という議論をしないとダメなんだなってのは当然のこととして、現時点において将来求められる人材を想定して教育目標をセットするなんてことも、危なっかしくて全然ダメでしょうってこともよくわかりました。

やはり教育というのは、その時々の近視眼的な小手先の話やだれも責任を取らない将来の見通しみたいなどうしようもない基準に基づくのではなくって、ファンダメンタルな部分でどんなハートを持っている人間にこの国家の未来を担わせたいかということを考えてその仕様を定めないといけない。折々の外部環境の変化によってあっさり使い物にならなくなっったり、力なく座り込んで全く反応のできないような人材を大量生産しても全然意味が無い。状況が変わっても、どんな困難に見舞われても、そうした環境を当然のごとく受けとめて柔軟に粘り強く対応できるような、人間としての根っこのしっかりした地力のある人材が必要なんじゃないかと思います。

日本はそこが足りなかった。中国は逆に、現在の状況を長く将来にわたって継続できる環境を維持するための人材育成をしていた。そこに戦略っていうか将来ビジョンの有無の違いを見た気がします。

その点においては全く感服せざるを得ないのですが、普通の政治家を「反政府活動家」として平気で逮捕して、何の臆面もなく公表し「法の支配だ」て言い切ってっしまう香港の在りようは、やはりすごいなと思います。物質的、生物的には同じ人間なんだけれども頭の中身は全く違うんだ、知的生命体としては別種の存在なんだな、と素朴に思います。

そうした意味において、教育の効果や影響の凄まじさを感じます。おなじ人間として共感できる部分が殆どなんでしょうが、多少歩み寄ることはできても決して理解することができない部分が残るんだろうなと思います。サッチャーと鄧小平の「法の支配」に関するエピソードは歴史的事実としては知ってましたけれども、今回実感することになりました。とても怖い話だと改めて思います。

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